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読書日記

「昭和という国家」  司馬遼太郎    日本放送出版協会

                        読了 H21年2月13日

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 司馬遼太郎が22歳の時に敗戦を迎えたとき、「なんとくだらない戦争をしたのだろう」と思い日本史への関心になった。昭和前半は司馬遼太郎にとって特異な時代であり、歴史作家としての出発点が太平洋戦争である。

世界史に誇るべき文化や歴史をもっていた日本の歴史で何故、昭和の20年間はあんな愚劣な戦争に走った日本になったのか?作者はその萌芽を明治維新に求めている。200年間続いた江戸時代を否定して、西洋思想を採り入れたことが満州事変に始まる侵略戦争につながっていく。

 

引用

近代というものは、ひとつの「公」のため、みんなが一生懸命やることが肝心なのです。

朱子学の影響で公私が混同されていてアジアで江戸期の清らかであった。私たちはあの「公」という心をいつからなくしていったのだろうか?

列強には産業能力があって19世紀的な帝国主義というものが成立する。明治30年代の他の国に売れる物のなにも無い日本が何故帝国主義のような真似をして朝鮮半島を取ってしまったのか?

P62どうも日本は非常に秘密主義の国でした。なぜそういう国になったのか。弱みを隠し続けたからであります。政府がもっと大胆で放胆で勇気があればよいですね。隠すと言うことは卑怯であり、臆病なのです。

 国に限らず弱みを隠すということは卑怯であり臆病である。

P116言語は不特定多数、あるいは特定多数に対して発せられたときには、魅力的でなければなりません。言語は重要です。

 他の所でも述べられているが口語としての日本語の力の弱さを指摘している。アメリカ大統領就任のスピーチなどを聴くと外国人がいかに話し言葉を大事にしているかが痛感させられる。私たちはもう少し論理的な、人を魅了する話し言葉を使わなければならない。

P149粛然とした自己認識、これだけが国家を運営する唯一の両親であり、唯一の精神なのです。しかし、そういうものが(戦中の軍人には)皆目なかった。皆目なくてこの骨董品(のような武器)で何とかやろうと思った。なぜ思ったか。技術が好きであるはずの文化をもってきたわれわれの末裔の高級軍人がなぜそんなことを思ったのか。骨董品のような兵器で大きな野望を遂げるなど、考えられない。今のセンスからみても、江戸時代の知識人から見ても、明治時代をつくった人々から見ても考えられない。日本の軍部は独裁的になっていました。しかし、独裁者を出さない国であり、独裁者なき独裁でした。

 今の日本の問題点がここにあると思う。戦後何故あのような戦争をしたかの検証を先送りにして、経済優先の国造りに邁進した結果、本来の日本という国が持っていた日本的な美質を忘れてしまったのでは無いだろうか?

 

P187新聞にも国権の気分のある新聞と、民権の気分のある新聞がありました。明治の優れたジャーナリストは旧幕臣の出身、あるいは新政府に乗り遅れた藩の人々が多かった。ジャーナリズムの言論が政府に文句をつけるだけの在野言論に過ぎず、政府がその新聞の論説をよまねば経営できないほどの強い青写真は持っていなかったようですね。福沢諭吉という人は政府が実行出来ないようなことを政府にねだる論説はやめろという人でした。

  今のマスコミはますます酷くなっているように思える。批判するだけの在野言論どころか大衆受けする言論あるいは大衆を誘導する言論になり果てていると思えるのは私だけであろうか?

P206今は偏差値の時代だそうで、縦割りですね。東京大学があって京都大学があって。それは日本全国共通の話にもなります。子供達は津々浦々で高等学校へ入りまして、偏差値社会の中にはいっていく。そういう社会が何を生むのだろう。われわれが自分自身で自分の多様性を。ああ、おまえはそういう自己をつくりあげているのか、おまえはそういう面白い考えをもっているのかとうような自己の多様性を、なんとか作り出さなければいけないのではないか。

 

 

 

 

 

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